良いドラマーになるためのブログ

【プロドラマー・ドラム講師たいこもちのブログ ドラムネタは意外と少ないかも】

好きなドラマー(1) ~ジェフ・ポーカロ(TOTO)~

■好きになったきっかけ
中学生の時にTOTOを聴いて好きになり、そのバンドのドラマーということでファンになった。

どこが好きと聞かれても困るのだが、なんとなくカッコいいドラムだと感じたのだと思う。ビートも特徴的だし、フィルもユニークだったし。

彼はスタジオミュージシャンだったので他のアーティストとの共演も多く、TOTO以外の作品も買い漁ってはコピーしまくっていた。アマチュア時代にもっともコピーしたドラマーの一人。


■プレイ分析 ~グルーヴ編~
独特のグルーヴというかノリがあるリズムを刻むドラマーで、それがまた非常に気持ち良かったため、80年代、90年代はアメリカでも屈指の売れっ子ドラマーだった。

前のめりに突っ込んでいくドラマー(イアン・ペイス、ステュワード・コープランドなど)ではなく、どちらかというと重めのタイムで叩くタイプ。ライブなどではあからさまにテンポが落ちて行く曲もある。タイム感については彼がジョン・ボーナムが大好きだということも少なからず影響があると思う。

売りは片手でハイハットを刻む16ビートとシャッフルだ(と個人的には思う)が、事実彼の教則ビデオでもそのプレイに関する解説に多くの時間を割いている。

結構速いテンポでもハイハットの16分音符の刻みは右手だけでやってしまうので高いレベルで基本のストロークテクニックが身に付いていないと彼のプレイをマネすることは難しい。

シャッフルはハイハットの隙間に絶妙なニュアンスでゴーストノートを入れて、非常に気持ち良い三連符を感じさせるタイプのシャッフルが持ち味。

かなり激しいロックな曲でもハイハットは4分音符で打たないでちゃんとシャッフルパターンで打ってゴーストノートも鳴らしている(Goodbye Elenoreなど)。

その方が難易度は高いのだが、彼にとってはきっとそうやって叩く方がノリが出しやすく、楽なプレイなんだろうと思う。

シャッフルについてはシャッフルの神様バーナード・パーディーの影響が大きいと本人が言っている通り確かにパーディーの影響を強く感じさせるものである。とは言えよりコンテンポラリーなニュアンスで叩くポーカロのシャッフルはもはや完全に彼のオリジナルと言ってもいいと思う。


■プレイ分析 ~フレーズ編~
手クセフレーズが多く、いろいろな曲で同じフィルを多用するので慣れてくるとコピーが非常にやりやすい。ファンとしては手クセフレーズが出るとついニンマリしてしまう。

ソロは頑ななまでにやらないのも特徴。これだけのテクニックを持っていながらソロをやらないという人も珍しい。ごくまれにソロっぽいことをやる時も手クセフレーズでグイグイ押し切る。

・典型的なポーカロフレーズ(1)
ドドパッという16分音符のバスドラム2連打のあとのスネアのフラム。これは他のドラマーもやるフレーズだが彼がやると独特のニュアンスが出る。16分音符(32分音符)のバスドラム連打はリズムパターンの中でも多用する。

・典型的なポーカロフレーズ(2)
普通タタジャーンと「スネア→スネア→クラッシュシンバル(+バスドラム)」に行くフィルを

タシャジャーンのように「スネア→ハイハットオープン→クラッシュシンバル(+バスドラム)」

又は

「スネア→クラッシュシンバル→クラッシュシンバル(+バスドラム)」

という風に金物連打で処理したりする。これは他のドラマーではほとんど聞かない。

※金物(かなもの)=シンバル類を総称してこのように呼ぶことがある

・典型的なポーカロフレーズ(3)
シャッフル曲のフィルでタタド(スネア→スネア→タム)というフィルをなんと「左手→左手→右手」の手順で処理する。

これの何が難しいかというと最後の右手のタムを叩き終えた後、そのまま右手でクラッシュシンバルを打ちにいくところ。実際やってみればかなりキツいことが分かると思う。

彼の教則ビデオで名曲「Rosanna」のオープニングフィルをこの手順で叩いているのを見てぶっ飛んだ人は多いと思う。

・典型的なポーカロフレーズ(4)
S=スネア
T=タム
B=バスドラム

「STTTBB」の手順で叩く。
Tは適宜タムやフロアタムに移動。

長めのフィル、ここぞという時にキメるフィルでよくこのフレーズを使う。

6連符で使うこともあるが、基本的には16分音符の6つ割りで使うことの方が多い。

他にもまだたくさんあるが細かいものを挙げて行くとキリがないのでこの辺で^^


■最後に
ドラマー滝本の何割かは確実にポーカロの成分で出来ている(笑)と言い切れるほど自分に影響を与えたドラマー。大好きで大好きでいつも追いかけていたが、残念なことに若くして(30代後半)亡くなってしまった。

彼が残してくれた数多くの名演奏は今でも色あせることなく輝き続けている。彼のプレイに少しでも近づくためにドラムをやっているのかも知れない、と思えるほど好きなドラマーである。