【思うこと】例の「学生がクラファンでスラム街の暮らしを肌で感じたい」とかなんとかで炎上した件
ども、ドラマー/ドラムインストラクターの"たいこもち"こと滝本です^^
一部で炎上(?)していた、この件について。
今さら感もありますが淡々と意見を述べたいと思います。
ツイッターでこのクラウドファンディングを批判するツイートを見かけたのが7月4日のお昼すぎ。
どれどれとキャンプファイヤーのこの問題のプロジェクトページをチェックしに行きました。
※現在そのプロジェクトは削除されています。
そのときの私の感想をFacebookに書きましたので、それを転載します。
あちこちで批判の声が上がっていたこのクラファン。おそらく批判の声が想定したよりも大きすぎて早めに店じまいしたと思われる。(勝手な予想です)
個人的には
「そこまでひどいか?」
「別にいいんじゃねーの?」
という感想しか。
甘い考えで海外に行って痛い目にあってくるってのも若者の特権な気もするし。やりたきゃ、やればいいんじゃねーの。
ま、ゲリラに拉致されて命を奪われるとか身代金とか要求されなきゃいいんだけど。
ただ、コメント欄の批判でちょっと気になったものがあった。
「まず日本のことをやれ」
みたいなヤツね。
カンボジアの難民支援する人に「まずは日本の貧困層を助けろ」みたいなこと言う人ね。誰が何に興味を持って誰を助けようとするかは自分が決めることで他人にどうこう言われる筋合いはない。
あと
「自分で汗水たらして働いたカネで行け」
っていう批判もなぁ。
自分がなにかを成し遂げたくて多くの人から支援をしてほしいときに「お前が自力で資金稼げよ」と言われてしまうよ。
クラウドファンディングは支援したいと思った人が支援をする仕組みであって批判的な人はカネ出さなきゃいいだけの話。カネが集まらなければプロジェクトが成立しないのだから放っておけばいいじゃん。
終わり。
はい、これ以上でもこれ以下でもありません。
支援したい人はする、したくない人はしない。
それでいいんじゃないですかね。
この件に対して7月6日にキングコング西野さんもブログで触れていました。
西野さんは「クラウドファンディングではなく自分の金で行け」という主張に対して疑問を呈する形でご自分の主張を述べられていました。
クラウドファンディングで支援していただいたお金は『自分のお金』である
支援という単語が混乱させている
『予約販売』という言葉を使ったほうが誤解がなくていいのでは
この考え方は興味深かったです。
確かにクラウドファンディングに対する批判で多いのが
他人の金で◯◯しやがって
というやつですが、ではどこまでが自分の金でどこからが他人の金なのか。
クラウドファンディングは基本的に支援に対しリターン(お返し)が組み合わさっていて、そこが純粋な(見返りなしの)寄付とは異なるところ。
お金を先にいただいて、あとでお返しをする。これは見ようによっては単なる先払いの売買行為ともいえるわけです。
通常売買行為で得たお金は自分のお金といって差し支えないでしょうから、この学生さんたちへの「他人のカネでけしからん!」という批判は的外れということもできるわけです。
それにしても「他人の金で、、、」と批判する人って、自分以外の人間が手にするお金にここまで執着できるってある意味すごい。
ってか怖いwww
そして、一番私の考え方に近いというか、むしろもっと理路整然と意見を述べられていたブログがこちら。(西野さんのブログの中で紹介されていました)
この方は実際にアフリカに2年間もボランティアで行っていた方なので、実体験を伴った言葉には重みがありますね。
今回のクラウドファンディングに肯定的な方も否定的な方も一読してみることをおすすめします。
こういった議論はどちらも正解はなくて好きに意見を言えばいいですし、私自身どちらが正しいかを誰かと議論するつもりなど毛頭ありません。
※もちろん今回企画を立てた学生たちへの人格否定や誹謗中傷までいくとそれはやはり行き過ぎと感じますし、慎んだほうがいいと思います。
クラウドファンディングは知名度のない一般人が他人から多額の支援を受けられる可能性をもたらす素晴らしい仕組みです。
ある意味弱者のための仕組みです。
せっかくそんなありがたい仕組みが社会に広まりつつあるのですから、ここはひとつそこそこ寛容な気持ちで見守りながらみんなで育てていきたいなと個人的には思います。
今後、何年か経つとクラウドファンディングという仕組みがより一般化して社会に定着し、他人から支援を受けることがごく当たり前の世の中になっているかもしれません。
今回この大学生を猛烈に叩いた人がクラファンを立ち上げて支援を募る側になる可能性だって大いにあります。
そのときにはじめて理解すると思うんです。
どれだけ素晴らしい動機ではじめたクラファンであろうと予想もしなかったところから批判が飛んできて叩かれることを。
どれだけ準備を万全に整えて臨んでも想定していなかった不備が見つかって叩かれることを。
自分にそのつもりがなくても悪意に受け取られてボコボコに叩かれる。。。
そんな因果応報の世の中は私は望みません。
他人の落ち度については容認というか、優しくスルーしてあげたらいいんじゃないかと思います。
今の「他人の落ち度を容赦なく責め立てる」風潮がどうにも息苦しくてたまりません。
いつから日本はこんなふうになってしまいましたかね。
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