子供を応援することとは
カミさんと口論というほどではないが、少し意見がぶつかった。
娘が宝塚が好き
というのはブログでも何度か触れてきたけれど、それはあくまで
お客さんとして楽しく観劇するのが好き
なのであって、
自分がステージに立って歌ったり踊ったりすることが好き
というのとは違う、と認識していた。
だが昨晩カミさんから「もし娘が宝塚に入りたいという気持ちがあるならバレエを習わせてもいい」というようなことを言われビックリ。
私は「無理なものは無理」と即答してしまい、若干険悪なムードに。
申し訳ないけれど、これは即答だし、答えは変わらない。
子供がやりたいということを親が後押しをする
これは正しい。
ただ「世の中どうひっくり返っても無理なことがある」と教えることも親の大事な役目。
今宝塚のステージに立つ彼女達は
元々スバ抜けた才能やセンスや素質がある人達が人並み以上の努力をしたから
そこにいる。
ステージの端っこで踊っている誰も名前も知らないようなあの人でさえ高い倍率の試験をくぐり抜け、厳しい鍛錬の末あの場所をやっと確保したのだ。
どこにでもいるような一般人がいかに努力を積み上げようとも越えられない壁がそこには厳然と存在する。みにくいあひるの子が様々な困難に打ち勝ってステージで白鳥として輝くのはドラマや映画の中だけの話であって現実はそんなに甘くはない。
「無理かどうかはやってみなければ分からないじゃないか」
という意見がある。
確かにやってみなければ分からない。チャレンジすれば可能性はゼロでは無いかも知れない。
ただ、それを言う資格があるのは
自ら動き周囲が何と言おうとも頑として自分の意志を曲げず目標を達成しようとひたすら努力している人間
だけである。
学校から帰ってきてひっくり返ってTVを見て、マンガを読んで、ゲームをやって、友達と遊んで...
この行動のどこに「宝塚に行けるかも知れない」という可能性を感じさせる要素があるのか。(一般の小学生の行動としては問題ない)
手前ミソになるが、なぜ私がドラムをやることを親が反対しなかったのか。
それは呆れるくらい私がドラムに没頭して、三度の飯よりドラムが好きでいつもいつもスティックを握ってタカタカやっていたから、親の方も「そこまで好きなら仕方ないか」と折れたのである。
本気で何かに打ち込もうとする子供を応援しない親はいない。
だが準備を何もしていない人間がただ「行きたい」と行っても「芸事ナメんな」で終わりである。
この件に関しては私は譲らない。
娘が何の取り柄もないつまらない人間だと言っているのではない。ただ彼女の個性が輝く場所は別のところにある、と私は思う。
繰り返すが本気で目指すなら応援する。
だが、この程度の親の反論でシュンとなるようならそもそも向いていないのだ。別のもっと熱くなれることを見つけた方がいい。