持論
『才能が無い』
というのは努力を怠った者の言い訳である
(たいこもち45歳)
もちろん才能というものが存在するのは厳然たる事実であり、自分が向いていないジャンルは確かにあります。
実際絵を描くことに関しては私は才能の欠片もないという自信があります(笑)。
ただドラムに関しては「あの人だから出来るんであって自分には無理だ」というセリフは吐きたくないんですね。
「同じ人間だ、あの人に出来るなら自分にもきっと出来る」
いつも自分にそう言い聞かせています。
世界的ミュージシャンともなると素晴らしい才能の持ち主ばかりですが、それでも「彼らのレベルには絶対に到達できない」とアタマから決め込んで最初からチャレンジしないのは嫌です。
最初からベスト8狙いだとベスト8にも入れない
スポーツでもよく言われます。
頂点を目指して努力をすればいつかは頂点に手が届くかも知れません。最終的に頂点に到達出来なかったとしても、途中で得た多くのものや経験は自分にとって大きな財産となります。
失うものはないのですからやってみるべきですよね。
くじけそうになることはもちろん何度もありました。「やっぱり自分は向いていないのではないか」「自分の限界なのではないか」と弱い気持ちに押しつぶされそうになることもありました。
けれど「いや、まだやり切っていない。自分にできる全てのことをやり切ってもなおそう感じるのならきっぱり止めよう。でもまだ出来る事があるならもう少しだけ頑張ってみよう」としぶとく粘っているとギリギリのところでフッと道が開けたりするんですよね。
なんでこんなことを書いているかと言うと、実は長年、それこそ25年間ずっと感じてきた自分のドラムに対する違和感や叩いている時の不快感を払しょくするようなひらめきがついこの間あったんです。
それはほんの些細なことだったのですが自分にとってはとても大きな意味のあるひらめきで、その日以降自分の中ではガラッとドラムに向かう意識が変わりました。
実際にその意識の変化がプレイに表れているかというと少々自信がないのですが(笑)、少なくとも叩いている最中の自分の意識は非常に晴れ晴れとしており、とても心地良く手足が動くようになりました。
重い鎖から解き放たれたような感じです。
今はこの意識を無意識に体現できるように体にしみこませているところです。
私は自分のことを
遅咲きの天才
と呼んでいるのですが、「ついに今度こそ咲くのか?!」と期待しています。(遅咲きすぎるだろwww)
ま、とにかく音楽の道は苦しみも多いけれど、その分喜びも多いです。
けっして楽(らく)ではないけれど、楽しい人生であることは間違いありません。
しぶとく頑張ってみます。